日本渡航記―フレガート「パルラダ」号より (岩波文庫)

日本と中国はともに、宗教心よりも寧ろ倫理哲学精神が支配的で、宗教に対して全く無関心である。

カムチャツカの土人の少年はペトロパウロフスクの学校に入って水先案内や舵手の教育を受けている。

日本人は長崎を利用するという能力がないのだ。日本が中国や朝鮮を通じて、ヨーロッパやシベリアとことん通商路で結ばれる日を空想した。

日本人の動作は礼儀正しく、その応対は丁重である。ただ彼らを對手にしては仕事は出来ない。引きのばして、ちょろまかして、嘘をついて、その揚句が拒絶するのだ。

外国人は力づくで彼らの領土に闖入したばかりでなく、自分は勝手に彼等の田畑の中を歩き廻る癖に、主人たる中国人が道路上を通行するのを禁じた。

他の民族、特に支配下にある諸民族に対するイギリス人の態度は残酷というよりも、命令的で、粗暴で、冷たい軽蔑的なものであって、見ていても痛々しいものがある。中国人を食い物にして金を儲け、中国人を毒害し、その上自分の犠牲を軽蔑するのだ。

イギリス政府としてはインドにおける罌粟の栽培を禁止する権利はない、全く阿片の使用禁止を監視するのは中国政府の責任である。

この地では美はしき性と云うべきものは琉球男子であって、真っ黒に日焦けした琉球婦人ではない。