身心快楽 (講談社文芸文庫)

冒頭の「僧侶の父」は心が洗われる。

「縛られた美女」への妄想。

留置場や中国大陸で底辺を知る。

朝鮮ピーを買いに行ったという。無邪気なほど欲が深かったという。

何万という人間が支那を自分で見て帰ってきたという事実は日本文化にとってどれほど深い意義があるか!

すべてのもの焼け失せるともなお自己の文化を抱きしめている身ひとつが残ったらそれでよいではないか。

中華民族の無抵抗の抵抗の根源は複雑な成熟した情慾を育まれた女体の、男ずれした自信ともいえる。

諸行無常だけが、人間の心を深くすることが出来る。

宗教者が悩まないとすれば、その瞬間から彼らは宗教者ではなくなっている。僧侶にとって難問の苦痛をたえしのぶことこそ無上の快楽であり光栄であるはずである。

司馬遷には生きていること自体が恥ずかしいこと。匈奴には匈奴の倫理があると考える。

竹内好は、魯迅執筆当時、無理解の壁の中で、孤独に呻吟していた。

ノーシンを十年も連用して血管硬化とな。

世界の胎内で数個の民族が争い、消滅しあうのは、世界にとっては、血液の循環をよくするための内臓運動にすぎぬ。