イノシシ祭りは縄文期の日本列島の殆ど全てで行われていた。蝦夷地でも伊豆諸島でも佐渡でも。続縄文期には、クマ祭りに変わった。
縄文人は現生人類の古層であり、人種の孤島。
縄文語+朝鮮語=原日本語
既に弥生期には、南島産の貝製品が流通していた。当然、漁撈技術も伝播。
4世紀の続縄文人と古墳人の混在はスリリング。
ウマの渡来やアクセントの話は難しいが面白い。
オホーツク人と靺鞨(まつかつ)との深い関係。そして、粛慎。
阿倍 比羅夫はやっぱり胡散臭いヤツだな。
擦文人はオホーツク人を踏み台として その利権構造をそっくり奪いとった。
エミシは反体制派古墳人ということか?
擦文文化とともに、平安時代にも墓なんてなかったんだと! そして、莫大な数の竪穴住居跡が残ったのだと。
内陸に遡上したサケは脂肪がほぼ無くて長期保存が可能だったので、石狩川流域のほぼ3か所だけで大量捕獲されていた模様。
鎌倉末には多摩川から網走に住み着いた和人も。
元はアイヌと40年戦争をしたらしい。
青苗文化ー渡党は中立地帯。
商品交換という禁断の果実!