後藤新平の仲立ちで、伊藤博文とココフツォフとの会談が実現した。
18世紀初頭、ピョートル1世が日本語学校を作った。
ネフスキー大通りにあるエリセーエフ商会の次男セルゲイは夏目漱石の弟子になる。
漱石の描くファッションと鉱山。
堺利彦の文が口語的散文なのに対し、幸徳の文は漢文調のロマンティシズム。
大石誠之助はドストエフスキーならぬエマゴールドマンの僧侶と悪魔を翻訳した!
ニコライ堂建設の資金集めの際、ニコライはドストエフスキーに会っている。
二葉亭四迷はペテルブルクで肺炎にかかり、帰国途上で死んだ。
伊藤博文は実際、若いころはテロリストだった。
中江兆民だけでなく、西園寺公望は菅野須賀子とも接点があった模様。
幸徳や寒村のダメ男な感じ。
漱石の「支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かった」という独善性も。