戦争画は天の岩戸の向こうに引きこもっている、とは国立近代美術館を訪ねた筆者の実感である。

土壌を愛撫する労働と、ひとを突き殺す戦闘ーー忍従と狂気が渾然一体となって国家の裾野に沸騰する近代と前近代の絡み。

しかし、フェノロサやら岡倉やらに妙に同情的なのだな。

洋画は日本では、権力へのマゾヒズムを孕んでいた。

末期の戦争画には大量殺戮の快楽、死屍累々の群像描写に狂喜するという超然性が見られる。

藤田の戦争末期の絵には戦争が罪悪であるという葛藤など皆無で、嬉々として描けて描けてたまらないのだった。

1970年代後半に書かれたこの本は、何だか途轍もなく苦くて懐かしくもある。筆者は私の親の世代であるが、私はこの頃に20歳前後だった。こんな苦い文章をいろんな場所で読んだ記憶はある。

 そして、2015年に近代美術館で藤田の戦争画が数点展示されたらしい。