定家明月記私抄 (ちくま学芸文庫 ホ 3-2)

定家が公卿の列に入れたのは、1211年、50歳になってからだった。

後鳥羽院は競馬狂い! 白拍子の女六十余人が後鳥羽院のサロンに集い歌い踊る!

式子内親王は、良い香りがしたんだってさ。

兄弟27人、子供27人ってなんだコレ?

西行やら親鸞やらの凄まじさ。

後白河の梁塵秘抄のトンデモ。

院政時代には朝廷が夜廷になっていたとのこと。

フィクシオンとしての歌や本歌取りなどつくるためにつくりつくられ、天皇制は存在し存続するために存続している。

陽剣と陰盾が相応じる性交舞踊って何?

定家と長明が京の宵を横笛を吹き鳴らして車をとばす。2人とも40代か。

後鳥羽院は宇治の平等院でヌードざんまい、それに嫌悪を催す定家の橋姫パラドックス

定家はひそかに実朝に新古今集を渡していた。

専修念仏の徒がアナーキストに近いものと見えるのも不思議ではない。