発掘写真で訪ねる墨田区、江東区古地図散歩~都電が走った下町の街角~

大正時代には後の放水路の中を通っていた東武鉄道は昭和初期には放水路西岸を直線で走るようになった。

向島から白鬚には至る京成白鬚線は僅か8年の命だった。

ミツワ石鹸の工場は墨田養護学校になったのだな。

そして、花王は柳島橋から中居堀へと少し東に移動したのね。で、地図では「おむらい」が「こむらゐ」になっている。

両国からお茶の水総武線が延びるのに28年かかった。

船堀川と小名木川がつながって江戸川から隅田川に連系した。

戦前、小名木川には丸八橋と新開橋だけで、他は渡し舟。