被差別部落認識の歴史: 異化と同化の間 (岩波現代文庫 学術 430)

日本における人種主義が環境的要因を重視するものであったことに加えて、容儀や生活習慣の差異が人種主義を周辺から補強していた。賀川豊彦にしても、この偏見を免れていない。

融和は大日本帝国を維持するという目的遂行のための手段の一つに過ぎなかったから、同化より異化を強調する方が大日本帝国の堅持に有効とあらば、その方針は容易に転換されたと考えられる。

水平社左派も、関東大震災の混乱に乗じ天皇を京都に迎え、部落民が立ち上がって革命を起こす! 企てをもっていたという(;・∀・)

そしてまあ、戦争に至って、国民一体に飲み込まれると…。西光万吉しかり、朝田善之助しかり、松本治一郎しかり。

有馬頼寧もなかなかに罪作りではある。

かくして、「同和問題の解決は、聖戦完遂に献身奉公の誠をいたす以外にありえない」なる結論に至る。

戦後については、もっと掘り下げてほしかったところ。