いやはや、序文の多いこと(;´∀`)
司馬遷は、おめおめと生き恥をさらした。腐刑といい、宮刑という、性格まで変るという刑罰を受けた後、日中夜中身にしみるやるせなさを噛みしめるようにして、生き続けたのである。
勇敢卑怯は時の勢であり、強い弱いは時の有り様にすぎぬ。
道家には出来上がった勢いは無く、物の先とならず、物の後にもならぬから、万物の主となることが出来る。
徳をもち武をもつものは勝利者となるし、妖は徳に勝たず、とな。
豪傑も英雄も、恐怖にかられて動く。
孔子は喪家の狗を自認した。
儒者は財産をつぶしてまで相識を盛大にやる。
孔子に対して老子曰く 貴君の驕りと多欲と態色と淫志を去れ、と。
叔孫生は普通の倫理、普通の哲学では理解できないが、漢代文化の建設者であることは疑うべくもない。
文学と歴史のけじめがなく、芸術と現実のわけへだてがない世界を、よろしと、考えたいのである。
戦国の世にあって、敵を殺しいくつ首をとったかは、けだし豪傑である。