武蔵野 (新潮文庫)

独歩は銚子生まれ、父の任地の山口県で育つ。

秋から初冬、中野、渋谷、世田谷、小金井の奥の林を訪れ、暫く座って散歩の疲れを休めて見よ。と謂う。

武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当もなく歩くことに由て始めて獲られる。

桜橋で会った老婆に剥いてもらったマクワウリを食らい、玉川上水から引いた小さな溝で顔を洗った。雲を劈く光線と雲より放つ陰翳とが彼方此方に交叉して 不羈奔逸の気が何処ともなく空中に微動している。

武蔵野は先ず雑司ヶ谷から起って線を引いて見ると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、入間郡を包んで円く甲武線の立川駅に来る。この範囲の間に所沢、田無などという駅がどんなに趣味が深いか。八王子は決して武蔵野には入れられない。布田、登戸、二子などのどんなに趣味が多いか。東の反面は亀井戸辺より小松川へかけ木下川から堀切を包んで千住近傍へ到って止まる。

青山?の御料地で枯れ枝を集める老爺を写生した絵を代々木八幡へ奉納とか。

人は余りに容易く永久の二字を口にす。恐し二字、厳かなる二字 人を生かし人を殺す二字。

文語体はさすがに疲れる。外国語みたい。

溝口は二子の渡をわたった淋しい旅人宿。八王子に行くには道順が変。画家と小説家が偶然出会い、酒宴。

しかし、独歩は九州から北海道まで随分と旅をしているなあ。大連とかまで。

都は各種の人が流れ流れて集って来る底のない大沼である。

ここに関しては、孟子>孔子だわな。