差別はたいてい悪意のない人がする: 見えない排除に気づくための10章

「私たち」と「かれら」の境界は、国籍ではなくどこまでを「私たちと認識するかによる主観的観念にかかっている。

ユーモアの重要な属性のひとつは、「だれが笑っていないのか?」の問い。

韓国では「多文化」は差別と排除の用語となった>二ホンみたい。

企業や学校が採択するダイバーシティ経営も企業の利益になるからだ、ってな結語を見ると、ああああーダメだわーー。マルエン全集の大月書店もこんなんに屈したんかアホ(;´Д`)