虚構の死刑台―小説 幸徳秋水

1905年、7/28に下獄した秋水は「下獄のときの十二貫の体重は、十貫三百匁となりました……多謝す、巣鴨監獄。それは私をして層一層不良不忠の臣民たらしめました」

桑港大地震に遭遇し「全市は無政府共産制の状態にある。金銭は全く無用の物となった。財産私有は全く消滅した」

秋水の吉原通い。口直しとは非道い。そして大酒を喫す。ダメオトコぶりなり。元々は陰陽師の血統で、家業は薬種業と酒造業。

家出を繰り返し、兆民の弟子となって壮士芝居の台本作家。

土佐派の切り崩しには、陸奥宗光植木枝盛後藤象二郎らが関わった。

絶望して政治から身を引いた兆民は金儲けとフィクサー稼業へ。しかし、奇行に明け暮れ、癌に倒れる。

廿世紀之怪物・帝国主義レーニン帝国主義論より数年先行していたのは、まあスゴイわな。