のっけから刺戟的です。これが20世紀とは思えぬほど、ではある。
ヨーロッパが本来に自己拡張的であることが、一方で東洋への侵入、他方でアメリカなる鬼っ子を生み出した。
東洋は抵抗を通じて自己を近代化した。しかし、抵抗を経ない近代化の道はなかった。前進と後退が、ヨーロッパにとって世界史の進歩と観念された。
日本の文学者で、作品からはみ出していった文学者は非常に少ない。日本には抵抗も自己もない。
ドレイは自分がドレイではないと思うときに真のドレイである。ドレイはドレイの主人になったとき十全だドレイ性を発揮する。
中国は儒教否定を完成させることで近代への転換点とした。
日本的進歩主義は進歩とも反動とも無縁で、そこからは創造のエネルギーは出てこない。
……と、この辺まではよろしい。で、でも、「日本とアジア」というテーマから2章以降は乖離して、論壇内部での正統派論争みたいになるのが堪えられないほど詰まらん。だって、小秀とか亀勝とか吉隆ごとき、糞物件なんぞ一顧だにすべきじゃねぇだろうが。まあ、でも、あの高杉一郎でさえ、あっち側に逝っちまったんだってことはチト衝撃。
打って変わって、3章は、改題も含め、個人的体験や感想が中心で、おもしろい。