方丈記私記 (1971年)

方丈記私記 (1971年)

 

満州事変以来のすべての戦争運営の最高責任者としての天皇をはじめとして、その住居、事務所、機関などの全部が焼け落ちて、天皇をはじめとして全部が罹災者、つまりは難民になってしまえば、それで終りだ、終りだ、ということは、つまりはもう一つの始りだ、ということだ、ということが、一つの啓示のようにして私にやって来た。天皇から二等兵まで全部が全部、難民になってしまえば。

 ・上陸してきた米軍との国内戦、必然的に派生してくる筈の内戦。指揮系統を失った軍隊の一部は、食糧を求めて武装強盗団のようなものになるーーとそこまでを想像し、想定してみるとき、日本中世文学は、凄壮なまでにその想像を裏付けてくれるものであった。

・いまの中央区や港区にあたるあたりの焼け跡には、すでに多くの移転先や疎開先を記した板ッピラなどがたてられていたものであったが、それが川を越えてはほとんど見当らぬことであった。ということは、多くの場合に、そこの住民が全滅したことを意味したのであろう。

・洗練の極致を行こうとする観念と形而上の世界の「千載和歌集」--朝廷一家の行う政治なるものが、政治責任、刑事責任などというものとまるで無関係なところにあるものとして在るからこそ、怖るべき現実世界の只中において形而上世界を現出させたのだ、

・才能ある者は、まける……。また、まけなければ才能は発揮出来ないであろうし、体制によって危険視されるということは、その人物自体に、歴史の転換の相が観取されるから、ということであろう。

・怖るべき生活難の時代であった。別に観念としての無常ということに気を入れたりしなくても、実際問題としてやって行けなかった。すさまじいまでに、「狂せる」かと思われるまでに、近親者をも蹴落とさねばならなかった。

・戦時中ほどにも、生者の現実は無視され、日本文化のみやびやかな伝統ばかりが本歌取り式に、ヒステリックに憧憬されていた時期は、他に類例がなかった。天皇制というものの存続の根源は、おそらく本歌取り思想、政治のもたらした災殃を人民は眼をパチクリさせられながら無理やりに呑み下さされ、しかもなお伝統憧憬に吸い込またいという、われわれの文化の根本にあるものに根づいているのである。