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私は20代の初めにシャルル・フーリエの「le nouveau monde amoureux」を1年間孤独に読んだ。情念引力に基づく妄想的共同社会の精緻なんだか雑駁なんだか,ごった煮の中にブッ飛んだ発想が出てくるのは仏語読解力を超えて面白かったが,数学と軍隊の行進が好きとゆうフーリエには閉口した。
考えてみれば,ドストはマルクスボードレールとほぼ同世代だが,そこはロシアのこと,ぺトラシェフスキーサークルを通じての摂取にはタイムラグがあって当然ではある。

蠱惑に満ちた非現実の世界の幻想に溺れて,あらゆる人間と事物から一人取り残された「夢想家」の孤独は,実は日常の平々凡々時やサークル内のいわば精神的習慣から取り出されたものなのである。

周知の如く「投獄・流刑・転向」後のドストは,これと訣別するわけだが,筆者によれば,

福音書やキリスト教が懲役時代の彼にとって果たして何か新しいものであっただろうか。もちろん,否である。1840年代のドストエフスキーの社会主義は,一種独特な解釈をほどこされたキリスト教以外の何ものでもなかった。

1860年代のチェルヌイシェフスキーらは,最晩年のベリンスキーの後を継ぎ実証主義的無神論的世界観を拡大するのだが,

1840年代の方が複雑であり,より矛盾に満ちており,正にそのことによってより豊かであった。

自分の生んだ人物たちと共にヒューマニズムの立場に立って神を相手に闘うこと,そのことをやめることは――その人物たちのヒューマニズムと完全に手を切ることは――ドストエフスキーは最後までできなかったのである。「地上の楽園」というユートピアンの理想――それは,キリーロフの,そしてイワン・カラマーゾフ」の「我意」を促して拒否者への道へ進ませるのであるが,――その理想は,ドストエフスキー自身の意識に対して最後まで威力を失わなかった。

のだそうだ。成る程,此処が凡百の「転びブンガク」と異なるドストの魅力ではあるだろう。そして,その原点をフェリエトン(大都市の風俗を描くバルザック流の新聞小説)に求めている。

「ペテルブルクの秘密」も,ペテルブルクによって提示される諸所の社会的対立矛盾の中にある。フェリエトニストはそれらの矛盾をペテルブルクの風景の中にさえ見,感じとる。それは,「風が甲高い声をあげ,口笛を吹きながら街々を駆けめぐり,街灯をきしませる時」であり,「社会的利害なんぞはどうでもいい,それどころじゃないんだという通行人たち」である。

ドストは,「2×2=4ってやつはね,もう生じゃなくって,死の始まりですからね」と「希求」や「個性」を論拠に,機械論的功利主義を攻撃するのだが,これは社会主義というより,もはや21世紀現在の問題であるように思われる。ヒトはすっかりデータ管理されてロボット化し,都市は水晶宮のモンスター,国営・民営・舶来の各種幸福設計機構が言い寄り,150年前にはSFであったようなことが急速に完結=死へと向かっているようではないか。そのとき,果たしてで立ち向かえるのか甚だこころもとないのだが…。
*奥付を見ると,「80年11月12日 ビゼンアサヒ×ワールドネバー」と書いてあった。当たり馬券でこの古本を買ったのだろう。28年ぶりに読了の巻。