古河力作の生涯 (文春文庫 118-6)

これまた文京区真砂中央の書庫から。

近親結婚のため、短躯。親戚には『白痴』多し。だが、富豪には違いない。

官公業を育成し、一部財閥に安価で払い下げた。コレは大蔵卿大隈重信の立案。

神戸での植物と西洋人との出会い。

滝野川の印東康楽園で六年も草花栽培に没頭。

「吾人は飽くまで戦争を否認す」と平民社一同!

日露戦争増税国債、借入金で賄われたが、インフレと物価騰貴をもたらした。

西ヶ原の社会主義クラブ愛人社で添田啞蟬坊にも出逢っていてのだった。

幸徳秋水は身勝手で、理論だけの人。荒畑寒村は菅野スガともども射殺しようとしたが、すれ違いで湯河原から小田原まで歩いたんだそーな。一方、スガは結核+整形失敗。

籤を引いて決行する順番を決めるとか。

宮下太吉は情婦に陰謀を喋るほどの軽率さ。

逆徒の死体解剖は断られた。

力作は非墳墓論者であった>そんな表現があるんか?

富久町の旧東京監獄跡は余丁町の児童公園内に刑死者慰霊塔が遺っている模様。