花咲く乙女たちのキンピラゴボウ 前篇 (河出文庫)

ああ、表紙が大島弓子で、いきなり倉田江美。

そーかそーか、のちに大家となる橋本治先生の30歳そこそこの作品なのかー。

倉田江美はシャイなので、水分が三割方欠けた主人公を描く。全信全擬なる凄さ。

現代に於いて、真の意味で愛情に満ち溢れるていらっしゃる倉田様のような方は、必ずや意地の悪そうな顔をしている!

既成の哲学って、みんな怒鳴るんだもん。

子供に快楽を提供する以上、現実直視は全く必要ない。萩尾望都の場合、すべてをミュージカル化する。

永遠の時を生き続けるエドガーに対し、メリーベルは永遠の死を生きる少女。

大矢ちきは少女マンガを、大人の目と腕によって描き出したので、恋することはストレートにエロチックなのでした。

自立した人間にとって、自立していない人間に愛という形で手を差し延べることは、愛でなくて支配へと成り下がる。

山岸凉子は、性を持つ少女を描き出し、同時に少女マンガを選びとることの正当性も獲得した。

ってか、著者の実家は喫茶店やってたんか!