海の歌う日―大杉栄・伊藤野枝へ--ルイズより

海の歌う日―大杉栄・伊藤野枝へ--ルイズより

 

 ルイさんを見たのは80年代の何かの集会だったように思う。女優さんみたいだった。中年になってから尖り始め,母や父を明確に意識化し,様々な運動に関わっていった人であった。

「怒れるようになった」,これが私自身にとっての運動の成果である。

各人の幸福がすべての人の幸福と密接な関係にあることの無意識的承認。そうだ,かつては当然のこととして社会に通用し,だれもが信じていたはずの,この認識がいまの世ではなんと軽んじられ,無視されていることか。

青鞜』の女たちへの俗習の轟々たる非難に立ち向かって書いたと思われる野枝十八歳のときの文章は,自分自身の生命と自由への渇仰,先導者として生きようとする自己確認であり決意の宣言であろう。そして,その後の十年の彼女の生がこれを貫きとおしたことを思うときこの文章は畏れに近いものを感じる。

「国」は人民に対して「愛国」を要求するけれども「愛民」の思想というものはもともと「国」にはない。国が愛国というとき,そこにはかならず他国に対する排他性があり,国民の犠牲が求められていることを感じる。