関東大震災 (1975年) (中公新書)

関東大震災 (1975年) (中公新書)

 

 はい,粛々と書き写します。

(家財を消失し,飢餓に瀕した)民衆の不満をすりかえ愛国心に転化して,権力への風圧をそらし,逆に権力の補完材料に利用しようとしたのが,自警団である。

朝鮮人の発見には,人相風体はもちろん,言語や風俗歴史のちがいが利用された。通行人にかの有名な十五円五十五銭,パピプペポの発音を強制し,君が代,どどいつ,いろは,教育勅語などを暗誦させ,識別の手段として責め立てた。ゼッペキ頭,一重マブタ,背が高い,長髪,子守っ子手拭なども排他的衝動の目安となった。

労働奉仕が,九月十日以降には「鮮人百名ハ朝鮮人ノ誠意ヲ示サント無償ニテ市ノ障害物ヲ取除ケ従事中」などの官製美談として新聞に発表され,良好な仕事ぶりを一般市民は朝鮮人の謝罪の表明として「深クソノ好意ヲ喜」んだ。血と汗の結晶をもって日本人の好意を博するむなしい労働に「保護」朝鮮人が使役されたのである。

社会主義者の自警団参加姿勢は「終夜忠実な番犬となった」と自嘲するもの,「間モナク帰ッテ来テ怖イコトダ」と洩らしたものなどに苦悩の色をみることができる。反面「検問にかかった不審な人間に殴りかかった」ものもおり,…社会主義者は殺す側に,朝鮮人は殺される側に立っていたことである。

朝鮮人が民族独立のために闘っており,その闘争が帝国主義者の心胆を寒からしめていたことを欠落しては,この事件は日本史上の単なる一残酷物語,あわれむべき朝鮮人の悲劇として,せいぜい同情の涙をしぼる物語になってしまうであろう。

既に40年近くも前の作品であるが,このクニの閉塞感を「異物排除」に向かわしめる情況はまるでいま目にするものではないか? そして,当時の左派もまた 青年団やら夜警やらに自主的に,少なからぬ者は喜んで参加していたという事実>それは大杉事件や亀戸事件より圧倒的な死者被害者をもたらした朝鮮人虐殺を低く見る歴史評価への筆者の断罪に繋がる。