園井恵子: 原爆に散ったタカラジェンヌの夢

盆踊りは10時 11時まで続き電車もなくて歩いて帰宅したという

飴は衛生的に美しく清らかに作られます、という文句は凄いよ。

宝塚に入ったものの、実家が破産、生活は恵子の背中にかかる。

小林一三に直接褒められたとか、給与を上げてもらったとか、何だか、ガラカメみたいになってる。

幼い手塚治虫が近所に住んでいたのか。

宝塚球場が西宮に移るとその跡に映画製作所が作られたのか。

東條英機は園井を贔屓にしていたらしい。

無法松の一生」で板妻と共演。

へー、長門裕之を可愛がってたんだね。

ほー、昭和20年には、湯浅電池や富士フィルムでも公演してるんだあ。

山本嘉次郎に気に入られたが、行き違いで原節子に代わり、結局立ち消えになったと。

原爆の後遺症は少し時間を置いて出る。一人また一人と死に至る。