金子文子 わたしはわたし自身を生きる―手記・調書・歌・年譜 (自由をつくる)

父は寿町の刑事? 女郎屋通いをし、母の妹と同棲。だが、文子は可愛がられたという。

無籍者ということで学校に行けず。怪しげな私立学校に通う。その後もDⅤやらエデュハラ(教育ハラスメント)に悩まされる。終業免状に酒を要求する教師!

そして、ひょんなことから朝鮮の祖母に引き取られることに。

しかし、結局、無戸籍のまま、下女への転落。延々と続く虐待。浜松でも同様。長い長いわー。200ページ近くまで続く(;´Д`)

そして、三ノ輪の大叔父→白旗新聞社で漸く動き始める。英語は正則、数学は研数学館、漢文は二松學舍、電機学校や錦城中学とか麻布の獣医学校とかってついこの前まで在ったやつやん。うんうん、都市は人間を自由にするんやなー。

社会主義は私に、別に何らの新しいものを与えなかった。それはただ、ワタシの今までの境遇から得た私の感情に、その感情の正しいということの理論を与えてくれただけのことであった。

朴烈との最初の出合いは詩に感動したこと。