啄木と秋瑾―啄木歌誕生の真実

啄木と秋瑾―啄木歌誕生の真実

 

 手なふれそ毒に死なむと君のいふ花ゆゑ敢て手ふれても見む

という歌が良い。啄木にとって,秋瑾の思想は毒のように危険だが,それに惹かれて触れようとする,毒は花に転身する…という隠喩。

名高い「東海の」の歌も,中国人にとっての「東海」=「ニホン」と読み替えると,殉死の悲痛さと自己の卑小さということになる。

表現者自身の日常の細部描写に国家権力の影を投射する手法を啄木は生み出したという。しかし,生活に足を取られると,明治国家やら伊藤博文やらを礼賛する隘路に陥る。どうやら夏目漱石もそういったタイプの表現者だったらしい>啄木が嫌った永井荷風はその逆なのだと…。☆☆★