天皇の肖像 (岩波新書)

天皇の肖像 (岩波新書)

 

 やや隔靴掻痒の感。ひたすらφ(..)メモですかね。☆☆

大久保(利通)は,権力が見えないために生じる政治的な弱点と,権力は見えるようにしなければならないという政治の視覚的技術の意味を,もっとも認識していた政治家であった。

錦絵やかわら版は,…事実を正確に伝えるというより,古い出来事にみたてて現在の出来事を描く「擬古画」,あるいは意味を読みかえた「寓意画」によるのがふつうだった。

行列を迎えた観衆は大勢であったが,天皇は乗り物のなかにあって見えなかったこと,それにもかかわらず通過する鳳輦は民衆に不思議なことに畏怖をあたえていた。

天皇制を支えていた言語は)内容はどうでもよく,儀礼的スタイルが重要な言語であった。いわば呪文のようなかたちそのものがイデオロギーであった。

(明治21年の天皇の肖像は)…ゆれ動く存在の一瞬ではなく,存在が示すあらゆる変化のかなたに,それを超えて構成された概念的,抽象的「身体」を類型的に視覚化したものであった。つまり生きていながら超歴史的な「身体」が,画面を構成する手法によって図像化されたのである。

どんな支配機構にせよ,それは人びとの感情から生じてくるのではない,むしろ支配機構の方が人びとの感情をひきおこすのである。

(「御真影」下付)の階層的差異の強化は,個人に自分ひとりだけその身分制を超えようとする欲望を喚起し,明治期を競争社会化し,その時代にしばしば文学の主題にもなった人生の主題「立身出世」を発生させる仕組みになった。