正直この筆者の湿っぽい声がニガテだったのだが,文章は意外にも大陸風に乾いていて興味深かった。この年代から少し上の人には満洲からの引揚者が多い。勿論,楊靖宇の足跡を訪ねる旅ではあるのだが,そこに「郷愁」が滲み出る。次のような叙述は好みだ。

・日本へ帰ってから,私はずっと違和感のなかを生きていたと思う。自分がいるべき場所はここではない。そう真剣に思っていた。雪もつもらない冬は,私にとっては冬ではなかった。松の樹も満開の桜も「なぁんだ,ちぇっ」という思いで見た。日本的なもの,醜はもとより,美といわれるものもふくめて,いっさいへの拒絶反応があった。それを私は大切にして失うまいとした。

・手許がはっきり見えないような記念堂へ入って,他の犠牲者の名前と略歴を書きとる。「朝鮮族」と書かれた人が多いし,女性も多い。二十二歳,二十歳,三十七歳,六十歳くらいと年齢はさまざまである。「もっていた手榴弾爆発」「日本憲兵により逮捕,長春監獄で死亡」「逮捕され犬にかみ殺される」「重傷を負ってとらえられ,縛られて目を抉られ,舌を抜かれ,首をはねられた」と死の状況も生ま生ましい。写真のない人が半数以上あり,生年不明の人もある。「神を信じていた者も,神を信じていなかった者も」という詩の一節が思い出されてくる。じつに多様な人たちが日本の支配とたたかい,そして命たたれたのである。