この本の表裏には,hiroshima as philosophy versus hiroshima in reality とある。これが筆者のアイデアか編集部のアイデアか判らないが,理念としてのヒロシマ対現実のヒロシマ,或いは建前としてのヒロシマ対身も蓋もない広島,とでも訳すんだろうか? 長々と述べられる前者はやや冗長で退屈(筆者のブログは長年読んでいるが,ここまで切れ味の悪い文は珍しいと思う)だが,後者の部分は俄然興味深くなってくる。広島を復興したのは他所者達であったこと,栗原貞子の云う自閉症ローカリズムナショナリズムの問題,時の人でもある肥田舜太郎の云う被曝に対する偏見と無知…。ただ,中国式デモクラシーやイラン式デモクラシーはともかく,日本式デモクラシーってどーにも惨めなモノしか想像できないよ>平成民本主義とか(呆)