1952年発行の原久一郎訳の旧仮名の古本で読みました。19世紀末に書かれたこの小説は,今でも十分面白い。「我々の間では,結婚なるものの中に交接以外何物をも認めずに夫婦になるんですからして,詐欺か然らざれば暴行という結婚が生ずる次第です」「婦人は,自分の希望するままに,男を享楽したり峻拒したりする権利,また自分の好みに従って自分のほうで,男を選択し,選択される位置に立たないで済む権利を奪われていて,その埋め合わせに,男の肉感に働き掛け,肉感を通して男を征服し,外形的には男が選択するけれども,事実は女の方で選択するという,そうした状態にしてしまうのです」「人類は,鼻持ちのならぬ醜業にすぎない愛の名に於いて,その半分を死滅させているのです。女を,我ら男性は自己の享楽の為に,補助者は愚か,仇敵にしているんです。どうして女が邪魔な存在なのか? 一切の原因はただアレです」などと前半でシニカルに哲学を語る男の嫉妬による殺人の過去が,後半でミステリー調に描かれていきます。この男が妻を殺す場面の逡巡・悔悟・冷徹と揺れる心理(とりわけ些細なことに過敏に反応し判断する様)が,とてもリアルです。