このシリーズ面白い。例によって,いくつか↓に引用しとく。
「英雄豪傑は滅び,国は消え,そして世界だけが持続する。世界は,もろもろの個人,もろもろの種族,もろもろの王朝の滅亡を栄養とし,吸収し,持続する。……(司馬遷のように)真に世界を記録するものは,非常人,異常人にならねばならない」(1946年)
「これらの哲学者(老荘・孔孟)は誰一人として悲惨事を詠嘆して倫理を見捨てたり,罪悪の現世をおそれて天上の救いを求めようとはせず,ひたすら理知のひろがり,人間智力のかためを図っていた」「谷崎氏は美女のただよわす不吉な予感を巧みに利用して,けちくさい,か弱い,うす暗い,無神経な日本の白昼を,たちまち変じて危機をはらんだ密林の暗黒と化して見せたのであった……性は善にして行いは悪。これが谷崎氏の女性の定義だ……それは常に男の濁った思想,いいかげんな妥協,結末へ行きつかない論理や倫理の世界を批判するものである」(1947年)
「彼(埴谷)は何よりも,それ(小説)が彼に与えられた労働であることを知っている。それ故,彼は書かねばならぬ。彼がそれを書くことは定められている」(1948年)
「すべての物は変化するからこそ,おたがいにどこかで関係し合うことができる。過去から未来へ,タテ一本につながった『無常』の関係ばかりでなく,ヨコ一面に広がった『縁起』の関係が,そこにできあがるのである」(1958年)
「あなた(三島)は……『蟹という字もいやなんだ』と真剣に言ったものです。……あなたは,前置きがきらいだった。『けれども』『だが』がきらいだった」「頭の皮がむかれるときは,黒い絨毯をへがすようだった。ノミで頭の骨を打ちわる音も,ひびく。……大脳や小脳は,とりだされて目方をはかられた。……彼ら,彼女らが,オンナやオトコの死体がたまらなくきらいなのは,生きているオンナやオトコの肉体が好きでたまらないからである」「ただ心がかりなのは,おそらくシャカ族の王子,シッダルタの結婚した相手の女性は,古代インド人の感覚によって『美女』と認定されたオンナであったのは,まちがいない……真の仏教徒なら,美女という感じ方は捨てなければならない。しかし,どんなに熱心な仏教信者も,この感じ方を捨てきれない」「老人はすばやく犬の皮をはぎ,それを戸板に張る。つぎつぎに釘を打ちこんで,できるだけ毛皮をひきのばす。それから,隣家の畑からネギをひきぬいてくる」(1971年)
ここには敢えて引用しないけど,泰淳が死刑翼賛論者ってのは意外な気がする>死体が食い扶持の坊主の宿痾というものか!? 実はミーハーで露悪的で報道とかを信じやすい性格に思えるので,今,生きてればワイドショウあたりに出てしょーもないことのたまってそうな悪寒も(;´∀`A