・満洲では県城と村が直接馬車で接続されているというシンプルな形。これに対して華北では、県城があって、定期市町があって、定期市町も複数の県城と繋がっている。この経済活動、コミュニケーション・パターンの違いが大きかった。

・上海付近での木綿の生産の増加が大豆の重要性を高めた。さらに、華南でのさとうきび栽培が漕運の主要商品となった。これにより、満洲の大豆モノカルチャーが発達した。

 

後半の日本社会論・日本人論みたいなんは退屈。あげくに自分史まで語りだすに及んで、読了拒否。★