ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

 

 浦上天主堂は,かつて絵踏みが行われた庄屋高谷家の屋敷跡に建てられたが,完成したのは1925年。1895年の着工から30年もかかったが,まさにそこが20年後に原爆投下中心地となった。

永井隆は読む気にならない(神の摂理とか元都知事の腐言を想起させる)けど,「長崎の鐘」はGHQによって「マニラの悲劇」(日本軍の暴虐の数々)とバーターで出版を許された。←しかしながら,講和条約以降は国会図書館でしか読めなくなった(あーあ) 時のローマ教皇ピオ12世(パチェリ)は,ミュンヘンユダヤ人革命家達との出逢いの経験からゴリゴリの反共主義者であった。

田川市長を丸め込んでのセントポール市との姉妹都市縁組はかなり胡散臭い。岩口氏の云う「キリスト教を信じとる国が,おなじカトリックの信者のおる浦上の真上に原爆を落とした。まるで作り話のような物語性をもった世界遺産になったとではないですか」は説得的である。

USIAなる懐柔組織の暗躍が裏にあった。←とここまでが長くて退屈。ま,現在でも侵略法やらチーパーパーやらを巡って,よーある話ではある。リベラルさまの転向だの…。