ことばと国家 (岩波新書)

ことばと国家 (岩波新書)

 

 明晰で知られる筆者だが,イディシュ語の項だけは難解だった。☆★

ソシュールにとって必要であった社会とは,一つのことばを引き出す手段としてのみ必要なのであって,一たびそれが手に入れば,即刻,社会のほうは見ないようにして捨て去らねばならない。

・ことばを話すという,…機能を果たすために,人間は…ただ食べるための器官を流用しているにすぎないという,気がついてみればじつにふしぎなこの事実も,授乳と話しかけという,誕生の点にたちかえってみれば,ある程度はなっとくがいくように思われる。

・フマニストは人文主義者と訳されるが,これを日本の場合に移すとほぼ漢文主義者としてとらえるとよくわかる面がある。

・「最後の授業」は,まさに日本のアジア侵略のさなかに,「国語愛」の昂揚のための恰好の教材として用いられたということだ。その国語愛の宣揚者たちは,たとえば朝鮮人の「国語愛」には思いもよらなかったのである。