「持たざる国」の資源論―持続可能な国土をめぐるもう一つの知

「持たざる国」の資源論―持続可能な国土をめぐるもう一つの知

第五章に登場する人びとの思想は確かに面白いし,資源を「働きかけの対象となる可能性の束」と定義する筆者も悪くはない。マルクスの云う「資源とは人間の頭の中であらかじめ組みあげられるものであって,初めからそこにあるものではない」も説得的ではある。しかし,なんだろうな~,この東大話法とでも謂うべきまだるっこさは…。「奥地で開発される自然が,どのようなプロセスで資源化され,原料化され,日本に運ばれるのかを理解るには強い関心と想像力,そしてそれを支える情報基盤がなくてはならない」←今やお寒い限りである。「植民地に手を出す前に国内資源の可能性に目を向けさせようとした石橋湛山も,戦後に資源論的観点から原料外交を批判した論者たちも,日本がエネルギー自給をすべきとは思っていなかったし,そうできるとも思っていなかった。彼らは『考える順序』として,外国の地に解決の場を求めるに先立って,国内資源の在り方,そこにあるものの可能性を追求すべきことを唱えたに過ぎない」←ますます反主流というよりほぼ絶滅危惧である。