フクシマと沖縄―「国策の被害者」生み出す構造を問う

フクシマと沖縄―「国策の被害者」生み出す構造を問う


著者の自分史といった色合い。「足の裏」と揶揄されたサセボの「翼に弾痕をとどめた戦闘機を飛行甲板に並べた空母の入港,米軍岸壁から市内に浸透するマリファナ・大麻樹脂,ベトナム帰りの米兵が引き起こす猟奇的な犯罪のひんぱつと日本側の無力な対応,基地に振り回される市政…」
琉球処分」がなされたのち,沖縄県に軍隊が配備されることはなかったのは,南方防衛の主力が日清戦争で獲得した新植民地・台湾におかれたからで,沖縄に部隊が移駐してきたのは1944年6月以降…ってのは初めて知った。
「米海兵隊にとっても,オキナワは日本の南であるより,ハワイ〜ミクロネシアの極北に位置する島と受け止められているにちがいない」それは日本陸軍が満州権益を手放そうとしなかったのとおなじ心理が働いているのだろう…とする推断は面白い。
今ある原潜だけでなく,大西洋の深海やソ連圏北極海で起こったであろう原潜事故の影響が,今後,深海水の上昇で表層水と混じりあえば明るみに出てくる…ってのも怖ろしい。