カシタンカ・ねむい 他七篇 (岩波文庫)

カシタンカ・ねむい 他七篇 (岩波文庫)


チェーホフを読んでいたのはもう30年も前だが,四大戯曲は勿論,「犬を連れた奥さん」がとりわけ好きだった。いずれも神西清訳で読んだように思う。9篇のうち,何故さほど面白くない2篇を表題にしたのか理解に苦しむな>編者 それ以外の7篇は傑作揃いだが,とりわけ「大ヴォローヂャと小ヴォローヂャ」・「アリアドナ」はチェーホフの女性に対する非情(「一般に冷たい人間がそうであるように,彼女もまた淫蕩な女でした」「都会における女性の教育なり教化なりは,その本質において,女性を人獣に仕立て上げる」)が遺憾なく発揮されていて哄笑したくなるくらい面白かった。「鶏が味噌汁の中に跳びこんだような態」「百姓が,油虫の浮いたクワス酒を忌々しそうに顔を膨らして睨みながら,それでもやっぱり飲んでしまうように」「あなたは,男じゃなくて,まるでお粥みたいだわ」「一分間だって嘘を吐かずにはいないのです。それは……雀がチュチュ言い油虫が髭を動かしたりするのと同じ」なんて比喩の的確さは作者と訳者の合せ技である。そしてまた,「宗教不感症」「無言の統計」「自記晴雨計」といった修辞を用いながら「不断の覚醒状態に置かれた」孤独な作家は「絶望の権利も奪われざるを得ない」としつつ「わが国の私小説家には卑小の礼拝というまことに手軽な宗教が……有力な支えをなしていた」と斬捨てるのも忘れない訳者の「チェーホフ序説」も素晴らしくスリリングである。チェーホフの喜劇的意図を裏切って悲劇として成功してしまう巡り合せまで含めてチェーホフ的笑いなのかもしれない>「鎖骨というのは,男に愛情を起させるという骨なのですよ」と言って黒猫に鎖骨をとらせようとする女教師…ってネタは凄く面白いと思うがw 最後に,編集者・徳永朝子の思い出を語る神西敦子や,昨今の新訳ブームを皮肉る川端香男里も印象的だ。ところで「ワ」に「゛」ってどうしたらよいのかな?