感性がほとんど二ホン人みたいなのだ。でも、USの街を舞台にした詩を読むと、紛れもなくUSのヒトなのだ。

江古田の水の塔が荒玉水道道路と関係してるとか、しかし、フツーのトウキョウのヒトは知らないし興味もないだろう。

「懐具合」「路傍のリンカーン」なんて詩もほとんど山之口獏を思わせる。

「意味」とか「母校」なんかも臨場感が甚だしい。

小泉八雲記念公園なんてローカルな公園でワンカップを飲むサワダさんに遭遇できるだろうか?