ある日の街歩き#83
うん、今日もノープラン。医者によってクスリを貰ってから、人形町へ。
日本橋図書館で本を返してから、甘酒横丁を歩く。ふーん、笹新は頑張ってるな。
少し奥に這入ると、ふーん、こんな旅館もあるのだな。とはいっても、今はランチタイム。ちょいと、妖しげな女性が満喫しているのだった。
明治座あたりはソコソコ賑わっているが、そーいや、猫八師匠の家はこの辺だったな、と思い出す。こんな住宅もあるのだよね。ゴミ箱がレトロすぎる。
何も考えずに、新大橋を渡る。昔に比べて自転車への配慮が充実。新大橋と云えば、様々な受難が思い出されるけど、このシンプルさがよろしい。
うん、はるか向こうに偽ケルンの清洲橋が見えた。
このまま、森下まで歩こうかと思ったが、両国へ進路を変える。この店はドアの店なんだろーか??
カレンダーとうちわの店というのも、なかなかにスゴイ。偶然写りこんだお嬢さんもスゴイ。
一之橋通りを歩くと、まさかの両国フォークロアセンターが一応健在。私がここに来てたのは79年頃だから。もう40年以上前だよ(;´Д`)
そして、堅川の閘門式運河。高速道路の下にいることを忘れられれば、次は東に行ってみてもいいかな。
ここで、正面から自転車に乗ったお相撲さんに遭遇。うん、そういうところなんだ。そして、回向院がやたらとエラそーな建物になってるのに唖然。30年ほど前は荒れ果ててたと思うのだが(;´Д`)
両国駅を右に見て、国技館やら江戸東京博やらを右に見て、おおっ、まさかの下総屋食堂が健在。とはいえ、結構くたびれてるんで、お互い何とか生きてるうちに再訪してみたいが。
というか、この辺りは高層ビルに覆われているが、意外にも地権の関係か、少し、ホッとする風景も。これなんかは一応普通の住宅だよな。
そーいえば、もう震災の季節なんだが、もう97年も前なのか? 慰霊堂は前来た時より随分と小奇麗に明るくなったみたいだ。
こんな狭いところに数十万の群衆が押し寄せたのだ。そして、朝鮮人は生贄にされた。うん、ペットボトルはどうかと思うが。
これって、過去からのバトンみたいなお話なんですかしら? 手前の禁止!オブジェが悲しすぎるわ。
えーっと、よく知らないんですけど、これってアウシュビッツみたいな展示なん??
で、蔵前橋までいって、隅田川テラスに降りる。ま、大きなお世話だけど、蔵前工業高校って昔からあるけど、ここって結構ストレスたまりそう。
地味な感じの蔵前橋だけど、下部のイエローがイイ感じ。遠景の厩橋の安定感! ここのリベットを見ると濡れます。
駒形橋とその向こうの吾妻橋。
さらに、歩くと、そうそう東武線のツッコミ列車。
隅田公園がすっかりオサレ公園になっちまいやしたぜ、どこぞの庭園みたいやん。昔は…(以下抹消)
もうここまで来たら、牛島神社へ。いやいや、ここまで撫でられてちゃ、ヘロヘロやろが(~_~;)
で、こっちの包丁塚は、誰も撫でてないみたいで、顔もコワイぜ。
あっちは言問橋、ちょいと地味ですが。都鳥も一杯飛んでましたぜ。
で、桜橋を渡る。ここに来るの何年振りかと思ったら、できたのが85年ということなので、たぶんそれと大してズレてない。しかし、ここまで来ると、辺りの眺めがよろしいのぉ。
遥か彼方に白髭橋が見えるが、ここは次回にしておこう。
台東RSSC(例年のごとく、水着、音楽アリ)の横を這入って、山谷堀へ。ペニスみたいな猪牙舟で江戸時代の野郎どもが吉原を目指した。