賤民の場所 江戸の城と川 (河出文庫)

賤民の場所 江戸の城と川 (河出文庫)

 

 もう30年近く前のテキストだが、塩見鮮一郎早過ぎた。

地図は文字や数字と同時に発明された可能性が強い、と。

自然の人工的固着化に表現=地図がひと役をかっているし、表現なくして自然の固定化もありえなかった、と。そして、手書きの地図が挿入される。

渡来人は大磯付近に上陸し、立川から秩父に住み着き、狛江古墳群をつくり、やがて深大寺を開いた。銅や養蚕、鍛冶などの先進技術のほか、ヒノクマ牧場なる馬や牛の生産で儲け、浅草寺を築く!

頼朝と江戸氏とのやりとりは小説みたいだ。

霜降商店街から染井商店街はかつての谷田川だったのか! 石神井川と谷田川を分けたのは豊島氏が有力。

太田道灌北条早雲って同い年だったのか。道灌が殺された翌年、早雲が小田原城を奪う!   桃山時代には既に石組みの城が当然だった関西と、未だ土居だった関東の格差。北条氏を中途半端と喝破する筆者。

補足の南雪谷~都立大学呑川辺りの筆者60代の自転車散歩は実感に溢れる(;゚Д゚)