まだ、コロナの前に書かれた本だけど、序文にいきなり谷川雁とは不意を突かれた。宇梶静江のモシリの痛みも。
1970年代の反原発運動は、「ヒロシマ」「ナガサキ」以上に「ミナマタ」「ナリタ」という名に結びついていた。というのは納得的。
ナショナリスト同士が似ているのはむしろ当たり前で、単一の世界ルールに支配されているからだ、と。
シチュアシオニストによれば、緑の党は国家エコロジー主義なんだと。
しかし、私にはアーレントやらデリダやらの文章が腑に落ちたことが一度もないので、そいつらの話は何を言ってるのかさっぱりわからないのだが。
クーベルタンはフランスの若者をスポーツ好きにするために、オリンピックを考案した。一方、シュルレアリスムは一貫して反五輪であった。
天皇制は思考停止装置であり、排外装置であり、忘却(促進)装置である。との結論なり。