コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液 (中公新書)

コーヒーが廻り世界史が廻る―近代市民社会の黒い血液 (中公新書)

 

 スーフィズムは厄介だなあ。コーヒーという食欲を減退させ、興奮させて眠気を追い払い、そして何より身体に悪いというのが、イスラームの美意識に適っているというんだから。

最初のコーヒーソングはアラビア文字で記されたヘブライ語の歌で、そこからディランの「もう一杯のコーヒー」に言及されてるのには震えた。

英国のコーヒーハウスでは、郵便局、株式取引所、保険、新聞などの業務を行っていた。私設国会でもあった。そして何よりアルコール追放!  しかし、女達の圧力に屈し、紅茶文化に凌駕される。

1683年、ウィーン包囲を敢行したオスマントルコは多くのハーレムの女達を伴っていた。 

フランスでは、カフェオレが健康的な飲み物として生まれた。この国でコーヒーが隆盛を極めたのは、マルティニークやハイチのおかげである。イエメンのモカは高価で、カイロの人々は安価な西アジア産を飲んだ。その裏には黒人奴隷の残虐な労働があった。

フリードリヒ時代のプロイセンは代用コーヒーの流行。しかし、コーヒーと砂糖の欠乏こそが対ナポレオン蜂起に駆り立てた。ドイツ人は東アフリカにコーヒー農場を作ったが、植民者としての能力に欠けていた。しかし、そこで芽生えた人種差別思想を徹底してファシズムに発展させる。

ブラジルは一次大戦後、欧州市場を失ったが、米国の禁酒法によって失地回復した。が、僅か10年後の世界恐慌により、コーヒーの大量廃棄が始まった。或いは機関車の燃料となった。