私の1960年代

私の1960年代

 

自然科学の研究を絶対的な善とみて、「なにはさておき研究は大切」と唱える没論理的研究至上主義はもとより、科学の進歩は社会の進歩と手を携えて進むと見る啓蒙主義的科学観もまた、実際には高度成長のイデオロギーになっていたのです。進歩的科学者の合理主義は、科学技術振興にむけての体制側テクノクラートの合理主義に飲み込まれていたのです。

 最首悟や今井澄や水戸巌が居たころの時代だもんなあ。一回り以上上の筆者の立ち位置と比べ、私の思春期の頃は公害が圧倒的な存在感を増していて、手放しで科学礼賛などをする理科系なぞは否定の対象でしかなかったわけなのだけど…。でも、考えてみれば、少年向けアニメや怪獣ものなどには必ず科学者や博士なんてのがさほどの違和感もなく重要な役割を演じていたことは忘れてはなるまい。王子野戦病院の群衆とか、丸山眞男ダブスタなどの裏話も面白い。「○○諸君」だの「大衆的に乗り越えられていく」だのといった言い回しを21世紀に入って初めて聞いたけど(;´・ω・)

それまで職人仕事として蔑まれていた技術関係の仕事に、プライドが高く、数学の学習を商人の芸として疎んじた士族をリクルートするには、技術にたいして職人仕事とは異なる権威を与える必要があったのであり、それが日本における「工学」の始まりなのです。明治の日本で技術がことさら科学技術として強調された理由のひとつも、ここになるのかもしれません。