安吾新日本地理 (河出文庫)

安吾新日本地理 (河出文庫)

 

 上のではなく、丁度35年前の今日買った角川文庫版。嘗ては、エラそーな文体の安吾大先生は読む気になれなかったのだが、多少馬齢を重ねて何とか読めるようにはなった。ハズレてるところも多いけど、当たってそうな処をメモ。☆

・(猿田彦)は自分の領地をさいて、侵略者の祖神を祀る霊地に捧げる奉仕的な忠義者であったが、意外にも世間の受けが悪く、天皇家の史家も芸術家もサジを投げて、愚かなピエロにしなければならなかったのかもしれない。

・大阪の警察精神が、こういう(飛田の)塀をブッたててスッポリ遊郭をつつむようなコンタンを最も内蔵してうるんじゃないかナ。大阪へ一足降りて以来、人民取締り精神というものがヒシヒシ身にせまって、どうにも、やりきれなかったのである。

・土着の(仙台)市民は集散する物や人のサヤをとって生活しているようなものだ。生産するのも、学問するのも、自分ではない。自分はブローカーであり、素人下宿である。

・日本の忍術使いが真言の九字を切るということは後世の空想的な産物で、その原型は、むしろ切支丹が胸に切る十字、そして金鍔次兵衛の存在や流説などがその有力な原型ではなかったかね。

・ありがたそうな神様の分配には一切あずからなくて、両面スクナという奇怪な悪漢だけ分配されてるのが飛騨の国です。

高麗神社の祭りのメス獅子をオスの二匹が取りっこ(実は隠れたメスを探しっこする)する獅子舞が隠れんぼの呼び声に聞こえるが、その発祥は武蔵野であるらしい。