呑めば、都―居酒屋の東京

呑めば、都―居酒屋の東京

 

 よくある酒場漂流モノと侮るなかれ…コレは優れて現代ニホン文明批評である。私がトウキョウを呑み歩いていたのは20世紀の最後の15年位なので,(21世紀以降は失業して経済的に窮迫したため)最近のことはサッパリ解らないのだが,このガイジンの文章(引用含む)は一々琴線に響く。ただし,やはり持てる者であることは鼻に付くし,引用される有名人は正直好きでないヒトも多いのだがね。☆☆☆

溝の口西口商店街組合会長「立派だから残っているんじゃなくて,みすぼらしいから残っている」「貧乏根性というものが抜けない」ww

・(1943年12月)建物を追われた(洲崎の)業者たちは,新吉原,穴守,そして立川の羽衣町・錦町のほか,千葉県の船橋・千葉・館山の各花街へと分散して営業を続けたのである。

・(元祖酎ハイの)琥珀色の元は「天羽の素」と言いまして,…あるシロップ製造業者が独自でつくりあげた「素」でございます。…葛飾・江東・足立・墨田など,東東京のみでしか普及しませんでした。…シロップと言っても甘く無く,ベースが梅なのでスッキリしております。

・<店>と<人>が切り離せない状態は弱点ではなく,それこそ魅力である,と。その意味では,すべてが制度化・マニュアル化されたチェーン店の体制とは正反対だと言える。

・戦後初期のクニタチの浄化運動と文教地区指定運動は,強いて言えば上品なクニタチを「立川らしさ」から守る運動でもあったのではないか。/東京のなかでも最も musician-friendly つまり楽器を練習する人に対して寛大である町のひとつ