大原幽学と飯岡助五郎―遊説と遊侠の地域再編 (日本史リブレット人)

大原幽学と飯岡助五郎―遊説と遊侠の地域再編 (日本史リブレット人)

 

2人の生き方にはさほど興味を惹かれなかったが,幕末の社会情況は面白い。☆☆

 ・鰯の大漁でわいた九十九里の漁業の村々は干鰯と油粕の一大産地となった。猫の手を借りたいほどの稼ぎ場となって老若男女を問わず懐があたたかくなった。とどのつまりが子どもまでが遊興に耽り,身をもちくずす頽廃を招来した。

・飯岡村は農業79軒・漁業84軒と,農業と漁業が拮抗し,しかも生業用具や生活・消費物資を供給・販売する商い41軒が存立している。大漁の経済の膨脹が大量の消費を支えていることが明らかになる。単身出稼の水主が多かったためか枡酒売8軒は以上である。宿屋・銭湯・髪結から質屋まであった。

・勢力拡大をはかる助五郎と治安維持に腐心する関東取締出役の利害が一致していく。関東取締出役は助五郎を手先の道案内に任命して支配の末端に組み込むことにした。

・幽学を生かしてくれたのは十九世紀初頭,支配の枠を越えて日本列島中に張りめぐらされた漂泊の旅人を迎え入れる文雅を愛する人びとのネットワークであった。…幽学は…独自に性学なるものを提唱した。人相・家相をみますと近づき,一句一首を所望されれば座や社中に加わり,打ち解けて家や村の悩みごとがもちだされると積極的に相談に乗って性学を講釈し,共鳴する者をつぎつぎと道友(門人)にして組織した。

・糾弾されたのは,幽学の一貫した為政者からの逃避にある。先祖株組合にせよ,農地の交換分合,農家の移動などは,(二宮)尊徳は堂々とより積極的に断行している。領主権力に隠れ,みずからが指導しながら,公的にはすべて門人にやらせる方式が疑いを持たれることとなった。