古典として読む『イワンの馬鹿』

古典として読む『イワンの馬鹿』

『バカのイワン』を読むのは何年ぶりだろうか? こんな話だったのね。正に21世紀の今よまれるべき書物というべきかもしれない。<ヌー・シトー・シ>が何と27回も使われているのか!! 筆者も云うように,「すべての独身女性を兵士として徴用し」空から空爆するという斬新なインド王の作戦は,まるで米軍やNATO軍を見るようではないか!! そしてまた,長男の軍人セミヨンはネオコンネトウヨ),次男の商人タラスはネオリベそのものじゃん(^_^;)  「両手に肉刺や胼胝のある人は食卓につかせますが,それがない人はつかせません」←勿論悪魔も例外ではないのだ!! ニチェボー主義の百姓もこの点は徹底している! 

トルストイは「リベラル」「プロレタリア」という語を初めて使い,前者の立場に立って「徴兵が農民のプロレタリア化をいかに早めるか」危惧していたという。一方,レーニンは「ロシアの敗北に満腔の期待をよせ,日本の勝利こそ世界史における進歩のゆるぎなき指標であると強調していたのである」。また,トルストイは「ブラックホール」の命名者でもあったという。「実生活における妻の狂気をも,妻を棄てようとする自分の狂気をも,異常なものとしてではなく,ごく普通のこととして受け止めようと考えることに努め」「異常そのものはすべて『悪魔』のせいにしてきり捨ててしまえばそれでよいのです」→「ミルトンに再々あってトルストイに皆無の離婚論」!

ドストエフスキーとの対比も面白い。ドストは「偉大な正教国家であるロシアを盟主としてスラヴ民族は大同団結してトルコと戦うべしとする十字軍=八紘一宇的聖戦思想」を唱え,トルストイの教会からの破門を公表したポベドノースチェフはドストが「友人のなかで,わたしが一番その判断力を高くかっている人物」だったのだ。

漱石が「猫」の中で馬鹿竹の「正直な了見」を称揚したのは「トルストイの非戦思想に応答した」ものというのも興味ふかい。