放射能汚染の現実を超えて

放射能汚染の現実を超えて

ふむ,20年前の復刊だが,この人はブレてないわな。私の世代は公害世代で,理系なるものに胡散臭さを抱くことを余儀なくされた世代だが,この人の原理主義は腑に落ちるのだ。

・人類という生物種がいなくなった地球は,生き残った,あるいは新たに生まれた生きものたちにとって,今日よりももっともっと住みやすいに違いない。

まずコレが前提であるべきだ。ジンルイなんて碌でも無いもんである。

・農薬を田畑に投入した図…欧米はアフリカ・オセアニア・中南米の約10倍,ニホンは約100倍!!

・今(1990年頃),ニホンは自然現象をおこすために太陽がくれているエネルギーの倍ものものを,勝手に使っている。

・エチオピアの人たちの分け前は一かけら,ニホンジンから見てこの人たちは可哀想なんですか? 自分で分捕っておいて可哀想という表現はない。

・ニホンが拒否した食糧は,他の誰かが食べさせられるだけである。即ち,これまで原子力を利用してこなかった国々,それ故に汚染を検査することすらできない国々,貧しく食糧に事欠いている国々が汚染食糧を食わされるのである。

・皮肉にも,カリ肥料の原料は輸入された岩塩中のカリウム塩である。人間がつくり出した放射能であるセシウム137で汚されていない。一方,有機肥料とは,大気圏内核実験で汚染された草木や海草を原料に作られるのである。

・ニホンでは,燃料は紙や薪とは全く別に存在しているのに対して,薪炭に依存している人々には薪炭以外に何のエネルギー源も存在していない。