人道的帝国主義: 民主国家アメリカの偽善と反戦平和運動の実像

人道的帝国主義: 民主国家アメリカの偽善と反戦平和運動の実像


1991年に「リベラシオン」やら「ルモンド」やらがNATOの機関紙に成り果てたのを知っているので,こうした媒体への幻想は喪われて久しいのだが,この本はとても面白かった。

文明人は,伝統的犠牲者たちの抱く世界認識がちょっとでも言及されるだけで,もう怒りを抑えることができない。
ソビエト連邦の場合,残虐な行為は特に国内に向けられた。植民地拡大の可能性がなかったからだ。
民主主義の論拠が,もし世界世論の尊重を意味するなら,一方的干渉権に対しては圧倒的な反対の声が響きわたるはずだ。結局のところ,リベラルな帝国主義者たち,つまりアメリカ民主派の大部分やヨーロッパの社会民主主義緑の党のかなりの部分は,国内的には民主主義を擁護しながら,国際的には干渉,つまりただ一つの国かごく少数の国の独裁を推奨しているのだから,完全に矛盾している。
「…でも…でもなく」はまた,共産主義の挫折以来,左翼一般が宗教的と言えるほどの道徳的絶対主義へ偏向していったときの一つの症状でもある。
ブリュッセルの立派な歴史建造物の大半は,Xが可能にした略奪のおかげで作られたものだ。市電44番の終点に行くと,ほぼ堂々とXを賞賛する博物館がある。われわれの富,われわれの政治システム,われわれの諸制度はすべて,Xの歴史にその源がある。スターリニズムの歴史はわれわれをユートピア嫌いにさせるそうだが,Xの歴史はあれほどひどいものなのに,まだ信用を失わせるには至らない。それどころか,われわれはXが自慢で,自分たちの生活様式を全世界,とりわけXの犠牲者にまで厚かましくも与えようとしている(まるで彼ら犠牲者もXの歴史を再現できるかのように)。究極の逆説がある。左翼から右翼まで,その言うところを聞けば,Xを生み出し,最大限にそれを利用した大陸は,とりわけXの犠牲者となった国々での人権のために,より介入しやすくする軍事計画の下で一致団結すべしと,ほぼ口を揃えている。 言うまでもなく,Xとは植民地主義であり,(タブー語を使えば)西欧帝国主義である。