眼の奥の森

眼の奥の森


複眼化して語らせることによって,きわめて演劇的な出来上がりになっている>連載小説というリズムかもしれないが…。まさか作者本人と思われる人物が登場し,ビデオレターで「お前が書いたやつは,文章は拙くともな,他の誰にも書けない,お前だけの世界だと…」などと自己?評価される展開には仰天w もしこの小説を映像化するとすれば小夜子はCoccoだよな,と妄想したり(汗),校内イジメと沖縄の島社会の(ヤマトゥと大差ない)事大主義との相同性は果たして的確かと思ったり,終盤の戦争体験語りをめぐる断絶・老後の希望と絶望・米軍通訳の述懐やらは,作者が一番嫌う(ハズの)癒しやら鎮魂やらにオチていないのかと感じられたり,結局男根主義的エロテロ「単独決起」に勝るものはないんかとかね…。やはり,目取真を沖縄のガルシア・マルケスと勝手に思ってる私としては,小夜子の里子がゾンビのようにこの村に帰ってくる結末を希望してたのだがなー。