• 拡大するモダニティ


1920〜30年代の東アジアの「文化」の問題は,現代にもそのまま繋がっていて興味深い。以下,〆(.. )memo

・無数に語られたモダニティのイメージや表象,物語を,「現実」の社会変化を反映するものとしてよりも,それ自体が遂行的に「現実」を生産していた実践として解釈する必要があるのである。(吉見俊哉
・「参政権」という言葉は,個人を,拡大した政体に対する「権利」を所有すると同時に――「参る」という謙譲語によって示されているように――より大きな政治的存在の下位に存在しかつそれに対して忠誠心をもつものとして仕立て上げるという天で,独特な合成語なのである。(フルーグフェルダー)
・「漫才」が「お茶の間化」され,ブルジョワ化,脱エロ・グロ化され,やがては国民娯楽の厚生へと絡め取られていった過程は,慰安と娯楽が,軍事化されたセクシュアリティの管理をつうじて統制されてきた同じプロセスの両側面として同時的に捉えられなくてはならない。(米山リサ)
・ハルピンという「外人征服精神を鍛錬する唯一の道場」において,ロシア女性の身体は,在満邦人と内地客の共謀するまなざしのもとで,「亡国の女」,「楽土」の安住者,異国情緒の体現者,歓楽郷の愛玩物など,豊饒なナショナル幻想を投射するオブジェとして,かつ「外人征服」の快感を達成させてくれる「肉体の勲章」として欲望消費されているのである。(高媛)