「あの世保険」を始めた鬼太郎。カネで来世での幸福を約束する社会事業で,閻魔大王の営業許可証付きなのだそうだ。手始めにネズミ男を勧誘するが,「ありもしない幸福なんかにビタ一文払えるかい」と拒まれる。ネズミ男はといえば,毛生え薬の調合に余念が無い←ヒゲが秘密の調味料か?
その毛生え薬は,瀕死のヤクザの親分(政治家かも?)を蘇生させた>原始生物の成分が不老不死を成就させたんだと(~_~;) このため,ネズミ男はヤクザの子分たちに襲われる羽目に…しかし,スカンク臭であっさりKO
一方,鬼太郎は戸別訪問。死後小説を書いている水木に「あの世の存在を認めているお人は非常に霊的感度が発達しています」とか,怪奇オリンピック招待券持参で持ちかける。掛け金は現在のシアワセによって決まるのでシアワセ計で測るんだと(´Д`) 
怪奇オリンピックの招待券裏に書かれた「まるめてのみこみ風呂に入れ」の指示通りにすると,水木は肉体を抜け出し,あの世へ連れ去られてしまう。霊は2つあって,1つは地上,もう1つは地下の世界にあるんだそうな…。
あの世には,機関車のように歩く植物や,エスカレーターのように動く道や,1000年に1歩歩く鳥とかがいる。目玉親父の言うことにゃ「あなた方は時というものから解放されているんですよ。仕事,空腹,年齢…何も苦にしなくていい状態になられたんです」←お化けにゃ学校も試験も何にもナイ♪ってヤツですな。「欲に縛られているとのんびり楽しめないものです。あの世もこの世も関係ない。その気になれば生きがいなど何処でも見つけられますよ」( -.-) =з
地上に戻ってみると,既に水木の肉体は消滅している。でも,入れ替わった裏水木の方もカネやシゴトに追われる悲惨な生活だ。妻のたまわく「この世は戦いよ。うーんと働いて下さいね…死ぬまで」 この世で生きる鬼太郎もネズミ男も,退屈ではないが空腹のようだ(=д=;

「その目は全てを受け入れるときに開かれ,全てを拒むときに閉じられる」んだって(〇o〇;) 琢磨は後者…「意識化に閉じ込めていた記憶をコントロールできなくなった」という診断>すっかり退行しちまいやした。はやみは琢磨の母になっちまうんかぁ?? 
ほたるは警察にチクって爺ぃをタイホさせる。マズゴミ陣に立ち向かうゆい様すっかりイイ人キャラやな〜。
琢磨&はやみは東京の琢磨のアパートへ。親族は完全無視らしい。旅立つ前夜,抱き合うはやみ&ほたる>親友というより恋人みたいだ。
…とまぁ,前半はわかったけど,後半は何が何だか(ノД`)ノ ????ばかりで,ぽかーん。写真にだけ埃が被った不自然な部屋,新聞配達バイト,ユルイ踏み切り,時間の経過,あげくに精霊会議だと…q(°O°)p こんな最終回で感動できる視聴者なんて世の中にいるのかぁ?

  • 「負けた者がみな貰う」(Gグリーン・早川文庫)


イングランド文学食わず嫌い王克服月間の第三弾。
…とはいえ,筆者はカトリック作家(←って何だろ?)だし,フランスに移住して死んだのはスイスなので,変化球というべきか? 本文中にも,ボードレールラシーヌへの言及があるし,何より舞台はモンテカルロだ。ま,そのせいかソコソコ退屈せずに読めた。映像的な文章だが,どうやら解説によると,二度映画化されている模様。賭博小説でもあるので,プーシキンドストエフスキーを思わせる部分もあるのだが,主人公がバツ一の中年会計係,その結婚相手ケアリーが「原・無垢の顔」ってのが面白い。ケアリーについての執拗な描写によれば,

毎日毎日が新しい日で,悲しみは身も世もあらぬほど悲しく,喜びは有頂天な喜びだったのである。 terrible というのが愛用の形容詞だった。彼女の快楽や恐怖や不安や笑いには,驚きにみちた戦慄,何かをはじめて見る戦慄があった。ケアリーはこれまでの経験との差異だけを見る。ちょうどワインの鑑定家がこの上なく微妙な風味をさぐりだすように。

しかし,この小説の最も興味深い点は,主人公が賭博に勝とうが負けようが,新妻とヨリを戻すのに成功しようが失敗しようが,さながらドルーサーが説く人生観が本音なのか冗談なのかどーでもいいことのように,すべて偶然の産物に思われるところである。
ただし,ドルーサーの次の表現は妙に印象的だ。

金を使ったんじゃ駄目だよ。金ってものは見るからに下品なものですからね。ところがあの小さくてまるい緋いろのチップとなると…ねえ,君,あれに誘惑されない賭博師はいないんだよ。

ドルーサーが航海しようとする都市がポルトフィーノ(今年の桜花賞有力馬)ってのは笑った。

島本須美野沢雅子に揉まれて,久住小春が巧くなったな〜。まさか感動させられるとは思わなかったぜ(;>_<) ただし,ハリウッドよりアジア向きだろうけど。