栗原貞子は,1910年代生まれとは思えない,新しく鋭い感性を持っているなぁ…底流にあるのは岡本潤とかあの辺かな。主題の多くは殆ど現代にも通ずるものだ>というか,そのような現代しか持ちえていない酷さなのだが…。
「ナチの戦争犯罪を書いた作品は,占領権力による検閲がな」かったの「に対して,ヒロシマナガサキの表現は占領軍のプレス・コードによって禁圧され,体験作家・詩人は検閲下の心理的抑圧のため,或は自殺し,或は半人間的な状態で血反吐を吐く思いで書いて,旅先で自殺まがいの急死に追いやられたり,手術中急死したり,放射能の後遺症のため癌死した。……そして,ヒロシマナガサキの生き残りはアウシュヴィッツが終った時点から,眼に見えない放射能の地獄を体の内部に抱え込んでいきているのである。……八月六日と八月九日に呪縛されて生きていると同時に,核兵器の恐怖が未来の悪夢として人々の実感となって被爆者を支えている」このあたりの比較が興味深い。
以下,気に入ったフレーズを引用

  • この戦争という残虐な偶像を/崇拝する善男善女達の/天にもとどろく戦いの讃美歌。/ああ純全な独立的な魂さえも/ふっととまどわせる不可思議な/愛国という麻薬!!/民衆という詭弁!!(戦争に寄せる)
  • 八月六日が近づくと/生きのこったものたちは/ケロイドの深部がじゅくじゅく痛み出す。/ビルと云うビルが火を噴いて/突然ひろがる瓦礫の大廃墟/陰毛のようにもつれた電線がたれさがり/黒こげの街路樹が死人のようにたたずんで/大円陣を描いておどる死者の群。/めくれた口で口々に/にんげんにかえしてくれと叫んでいる。(八月六日が近づくと)
  • 見れば私の袖にも肩にも/寸分のすきまなく黒い蠅がむらがっているではないか。/その蠅はわたしたちの肉親の/どろどろの臓腑と腐肉のなかに湧いた白い蛆が血膿を吸ってまるまると肥え/瓦礫の上にへばりついていたのだ(廃墟)
  • ケロイドの手をひろげたように/苦悶の水をたたえて流れる七つの河。/デルタの街の地底には/まだ八月の焼死体がぎっしりつまっている。/まだ土になりきれず/どろどろの人間のぬかるみを/つくっている。(地下都市)
  • ヒロシマ>というとき/<ああ ヒロシマ>と/やさしくこたえてくれるだろうか/<ヒロシマ>といえば<パール・ハーバー>/<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>/<ヒロシマ>といえば 女や子供を/壕のなかにとじこめ/ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑/<ヒロシマ>といえば/血と炎のこだまが 返って来るのだ(ヒロシマというとき)
  • ピロシマの市長にとって/八月六日は盛大なふぐ供養の日である/皮をはがれた死体を山に積み/石油をかけて焼いた記念日である/大人のためには/生き胆を抜きとるために/東京から眼玉をむいた/怪獣を招いて/祭壇の前で演出させるのだ/ニッポン・ピロシマ/あは・あは・あは。(ニッポン・ピロシマ)
  • 日の丸の赤は じんみんの血/白地の白は じんみんの骨/いくさのたびに/骨と血の旗を押し立てて/他国の女やこどもまで/血を流させ 骨にした(旗(二))
  • ひとは 力つき/終りのときが近づくと/「水を下さい」「水を下さい」というのです。/永遠の渇きをいやすために/「水を下さい」というのです。(終りのとき)

↑の写真は最新版。実際に読んだのは日本現代詩文庫17です。